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【大阪】3/20御堂筋デモ [ストリートライブ・宣伝]

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イラク戦争が始まって8年がたった3/20。
大阪・御堂筋で『戦争と貧困なくせ!震災の民主的復興を!イラク戦争8周年御堂筋デモ』と掲げて、練り歩きました。
歌舞団もエイサー、歌、トランペットなど多彩に参加。

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途中、雨が降ってきたのですが、『チュニジア民衆に連帯!エジプト民衆に連帯!』『リビアのトマホーク爆撃をやめろ!』
『イラク、アフガニスタンからの全占領軍の撤退!』
『全ての原発を止めろ!』『非正規解雇やめろ』
とコールしながら歩きました。
これは心斎橋を歩いているところです。

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淀屋橋から難波まで、多くの人の注目を集めました。
***yuka***


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善野

過労死した元社員の遺族がマック提訴、「疲れた」と話す暗い表情忘れられず
2011年3月23日
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 マクドナルドの川崎銀柳街店に勤め、2000年に過労死した中村圭司さん=当時(25)。母親(68)は「俺、疲れているみたい」と話す圭司さんの暗い表情が忘れられない。圭司さんは、赤信号を待つ運転中の車の中で寝入ってしまうほど疲れていたからだ。

 圭司さんが亡くなったのは、それから1週間後。前日からの夜勤勤務を終えて早朝に自宅に戻り、少し休んで昼前に出勤。店の裏で倒れているのを通り掛かった人が見つけた。

 朝暗いうちに出勤することが多く、夜遅く帰宅した。職場から急に呼び出されることも多かった。

 亡くなる10カ月前には、仕事帰りに具合が悪くなり、急性胃腸炎と過呼吸症候群で入院。退院後、「仕事辞めてもいい?」と口にする圭司さんに、父親(64)は「思い通りにするといいよ」と声を掛けた。それでも圭司さんは、すぐに働き始めた。父親は「息子はマクドナルドでの仕事が大好きだった。だから頑張り続けたと思う」と振り返る。

 圭司さんは通常業務のほかに、社内システムの改修作業を受け持ち、自宅でも仕事をしていた。東京地裁は昨年1月の判決で、自宅での作業時間も労働100+ 件時間と認め、「死亡は業務に起因する」とした。圭司さんが亡くなってから10年、両親にとって待望の判決だった。

 判決後、日本マクドナルドから届いた書類がある。「死亡と業務の間に因果関係はないものと考えております」

 両親とも、息子が愛した会社の考えとは思えなかった。「企業は社員の幸せを一番に考えるべきではないか」。父親は裁判で企業の責任を追及するつもりだ。


by 善野 (2011-03-23 22:16) 

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